ふいちゃんの中国日記

つれづれ編

長禅寺・誓願寺・能成寺

2016年6月29日


 武田信玄は、支配した山梨県から長野県諏訪~茅野方面のいろいろな面で今もなお多くの影響を残している。その後を支配した徳川家康は武田信玄の残した仕組みを評価してそのまま活かしていることが指摘されている。

 山梨県南巨摩郡早川町の「奈良田」は武田信玄の隠密の里ではないかと言われている。1400年頃は今のような平地の道は少なく、山の道が発達していたことが知られている。「奈良田」は”早川”の上流、奥深い山の中にある。
 1)「奈良田」は尾張、信州、越後のどこへも行ける便利な山の道の起点となる場所。
 2)「奈良田」には尾張、信州、越後の盆踊りが今なお残されている。
 3)「奈良田」には隠密の里を示す資料は何も残されていない。

 これらの事実から作家の「岩崎正吾」さんは「奈良田」こそ武田信玄の隠密の里(情報収集基地)と推定している。徳川家康が作った、各藩へ放ってそこへ住みつき親子代々にわたって藩の動向を探った隠密のシステムそのものである。

 信玄は甲府に五つの禅寺を造り甲府五山とした。長禅寺・能成寺はその中の二つで、いずれもJR中央線甲府駅から歩いても10分~20分の距離にある。長禅寺は信玄の母「大井夫人」の菩提寺で墓がある。また、ここには甲州財閥の一人「若尾逸平」の70坪の広大な墓地があり当時は墓守もいたそうである。

 能成寺は境内へ入るやいなや直径80㎝はありそうな○の石碑が目に飛び込んで来る強烈な印象を与える禅寺である。

 誓願寺は能成寺のすぐ南にあり歩いて2~3分と近い。誓願寺には、山梨を代表する日本画家望月春光(1893~1979)が寄贈した絵画が二点飾られている。望月春光は誓願寺の檀家で、その一族は今も誓願寺の檀家だという。

 山梨県立美術館ができたとき、望月春光は自分の絵を20点寄贈しており、館内に望月春光の常設コーナーが設けられている。山梨県立美術館は展示のために誓願寺にある望月春光の絵を時々借りに来るそうである。