ふいちゃんの中国日記

つれづれ編/フットパス編

甲州市 旧青梅街道沿い(3/4)萩原口留番所

2017年8月26日


2~3年前、大菩薩峠から大菩薩嶺へ向かう鞍部に来た時、ガイドの方が、ここが旧青梅街道と説明してくれたことを思い出す。

かつての道は、今は木々に覆われているが、それらを伐採し通れるようにする計画が動いているということだった。

しかし、実際の情況はわからない。


旧青梅街道はその鞍部を通り過ぎて小菅村へ下り、青梅へとつながっていたことが地図をみて理解できる。

江戸時代に甲州街道が整備され、一般の往来は減ったが、この上小田原~小菅村間は距離が甲州街道ルートより二里(約7.9km)短いことから急ぎの人々などに利用され続けた。
その為、幕府は上小田原に萩原口留番所(小規模な関所)を設け、人や物資の出入りを取り締まった。その任を地元の四ケ村に委託し、諸役を免除した。番所は明治初期ころまであったそうだ。(NPOつなぐ発行:“甲州市塩山上小田原編”より)

これで
   ① 2~3年前の“旧青梅街道の大菩薩峠越え”の話
   ② 170721発表の“木食白道のふるさと 二子山(7/7)”の旧青梅街道跡
   ③ 旧青梅街道にできた萩原口留番所
が線でつながり、旧青梅街道の部分的な姿が少し見えてきた。
萩原口留番所は復元されて大菩薩の湯の入口として設置されている。萩原口留番所の近くで旅籠を経営していた柳屋(手塚家)は現存しており四階建ての家屋に子孫の方が住んでいる。


柳屋は旅籠の外、大菩薩峠を境とした丹波・小菅村と国中の住民との物資の取次をする際の問屋業も行っていた。

ふすまの下張りから当時の大福覚帳、荷札、送り伝票などが見つかっている。(同資料22頁)

初めて、真っ二つに割れた巨大な「裂石さけいし」を見る。

目測するに左右の石の面の凹凸は合致している。

神の下に虫と書いて”蚕かいこ”と読むとのこと。神(虫)影山は”こかげさん”と読むという。かつて養蚕は現金収入を得られる貴重な産業で、神の虫と呼ぶくらい蚕を大切にしてきたのだという。


「裂石さけいし」の近くに亀の形をした丸石信仰の道祖神が祀られている。

一般に丸石信仰はただ丸石だけの場合が多いが、丸石を亀の胴体として手足も尻尾も頭部も丸石で亀を形どっている。

わたしはこのような形は初めて見た。