ふいちゃんの中国日記

観光編/哈尓濱

731部隊(3の1)

2009年2月10日

わたしが「731部隊」のことを知ったのは森村誠一の小説「731部隊」であった。それまで全くそういう存在のことを知らなかったわたしは大変おどろいたことを覚えている。言うまでもなく「731部隊」は日本軍が哈尓濱で極秘に細菌兵器及び毒ガス兵器を開発していた部隊である。場所は哈尓濱の中心地から車で小一時間の距離にある。
この細菌兵器開発の部隊長は石井四郎中将という人物で千葉県の人。戦後間もなく発生した「帝銀事件」などのマスクの形はこの「731」部隊で使用していたマスクと同じだったこと、消毒して人を退避させる手段などいかにも細菌の扱いになれている人間の発想であろうなど、この小説のなかで作者は犯人像をこの「731」部隊関連者であろうことを推定している。
そして責任者の「石井四郎元中将」はこの事件を報じた新聞をみて犯人は「731」部隊関連者であることが即断できたであろうが、名乗り出ることはできなかった事情も解説されている。

「731」部隊は中国人の浮浪者や欧米人を含む捕虜を「マルタ」と称して人体実験をしていたことも知られている。この「マルタ」が中国語では「馬路達」 ma3 lu4 da2 マーア ルー ダー」と標記されていることを知る。そして人体の平均的な水分率がたしか28%だというのもこの人体実験で得られたデータだということがこの小説のなかで紹介されていたと記憶している。

敗戦で日本軍がここを撤退するとき、建物、設備など徹底的に焼却破壊されたということである。いま、ここに復元された建物が建っていて第?棟のみが公開され、堀出された銃剣や実験用のビーカーやフラスコなどが展示されている。

当時の名残は入り口の門柱の跡くらいである。説明がなければここが悪名高い「731部隊」の跡地だったなどまったくそういう雰囲気はない。当時は荒原のなかの建物で、周りには何もなかったのではないかと勝手に想像しているのだが、今は門柱の前の大通りの両側は家がいっぱい建っている。

入って左側は中学校であり、右側の建物は民家であって、その一角にはハトが住んでいる。以前は日本人は入場禁止だったそうだが、現在は日本人も無料で見学できるようになっている。

わたしもそうだったが日本人はその負い目を背負っているせいか、この前に立つと思わず緊張してしまうようだ。ここは現在、観光地ではないからということであろうか、11時〜13時は入場できない。わたしたちは12時ちょっと過ぎにここへ着いたが約一時間タクシーを待たせてじっと待機するしかなかった。その間、何組かの日本人がやってきたが非常に緊張感が漂っていたことが印象的だった。彼らは午後一時にならないと中にはいれないと知ると時間がなかったのであろうか、そそくさと立ち去って行った。

建物の中は写真撮影禁止になっている。中には当時の「731」部隊に所属していた人が何十年後かにここを訪れたときの写真や記憶に残っている手書き見取図なども展示されている。日本で出版されている「731部隊」の本なども展示されていて、日本でも「731部隊」に関する本が7〜8種類出版されていることを知る。中国側の出版物は2〜3種類だったと思う。