ふいちゃんの中国日記

観光編/丹東

丹東の大橋

2006年1月22日

 小物電機部品用の金属プレス部品の調査をしていて、丹東にある某会社のカタログがわたしの手元に届いた。皆でみていると表紙に大きな橋が写っている。この橋はなんだ、ということになり結局これは中国と北朝鮮をつなぐ“鴨緑江大橋”であるという話に落ち着いた。しかし、だれもこの橋を渡った経験のある人はいなかった。
 そこから話が多方面に広がった。今の北朝鮮は中国の1980年のころの貧しさらしいよと誰かが言う。わたしが、そういえば昨日のインターネットでは北朝鮮の「金正日将軍様」が中国へ入ったとあった、と言ってもだれもそのようなことを知らない。さらに、きっとこの大橋を汽車で渡ったのではないかと言ったら、将軍様ともあろうお方が汽車ということはないでしょう。おそらく飛行機ですよと別の人がいう。だがね、将軍様の父親の「金日成」はここを汽車で渡って北京へ行ったのだよ。将軍様が中国をはじめて訪問したときは父親が通ったと同じルートで北京入りしているよと言ってもだれもそんなことを知らず、むしろ外国人のほうがよく知っているくらいだ。
 すると、やはり将軍様は汽車で行ったのではないかとさらに別の人が言い出した。なぜなら、「毛沢東」もけっして飛行機に乗らなかったことでよく知られている。飛行機はなんたって空に浮いているからね。その点、汽車は初めから地上にあるから落ちるという心配がないから安心だ。だが、それだとたとえば北京から南の広州へ行くのにずいぶんと日数がかかるのではと素朴な疑問をぶつけたらあっさり退けられた。そういうときはいわゆる「お召し列車」として「毛沢東」が乗った汽車がすべてに優先し、ノンストップで通過していくというのだ。当時の中国ではこれを“毛沢東専用列車”、略して“毛沢東専列”と呼んでいたそうだ。なるほど、それなら2日くらいでいけるかもしれない。それでも2日である。
 だから、結局将軍様はきっと汽車でこの“鴨緑江大橋”を渡って中国へ入った可能性がもっとも高いという結論になったのであったが、その後インターネット上に将軍様の記事が全く出てこない。中国の人々も知らないとなると、あの記事はまちがいだったのではないかと疑りたくなる。金日成将軍様のような重要人物が北京を訪問したら中央電視台CCTV 1チャンネルがかならずニュースで流すはずだ。なんせ昨年の12月ころだったか、日本の某政党の女性党首が北京を訪問しても中央電視台1チャンネルが全国ニュースで流すほどだから、ましてや金日成将軍様となればニュース価値としての重みがぜんぜん違うはずなのだ。やはり、あのインターネットはガセネタだったのに違いない。

 【註】
   鴨緑江大橋 yalujiang daqiao ヤーリュウジアン ダーチアオ 鴨緑江大橋
   毛沢東専用列車 maozedong zhuanyong lieche マオザードン ジュアンヨン リエチヨー