ふいちゃんの中国日記

文化編/日本と同じ!

「んだ」はどこから来たか

2006年4月23日

 「んだ」は中国からやってきた。日本の標準語では「ん」で始まる言葉はない。だが、日本の東北地方という広い範囲では「ん」で始まる言葉が日常語として毎日使われているという厳然たる事実がある。もし、東北地方が日本の政治経済の中心だったとしたら、この「ん」は日本の標準語になっていたに違いない。

 東北弁の「んだ」は中国の東北部からきているにちがいないと確信するできごとがあった。仕事の関係で秋田県に1年間ほど住んだことがある。また、出張で数え切れないほど秋田県へ行ったこともあり、秋田弁がある程度わかる。

 秋田弁は言葉を短めに短縮するのが一つの特徴のように思う。たとえば「ご飯」のことを幼児語では「まんま」というが、秋田ではこれが大人語として「まま」になる。めしを食えの食えは「け」になる。だから「ご飯を食え」は「ままけ」という。語調によっては「ご飯を食べていきなさい」の意味にもなる。

 また、秋田弁では「んだ」や「んだべ」は毎日耳に入ってくる言葉で、意味は「そうです」であり、「そうでしょう」と同意を求めるときの意味である。また「行くべ」といえば「行こうよ」というこれまた同意を求める意味である。言い易いので私もときにこの言葉を使うことがある。

 クラブ京東で私についていた小姐と話をしていたとき、ついこの「んだべ」が出てしまった。そうしたら、小姐が「あら!どうして私のふるさとの言葉を知っているのよ」と聞かれた。「え?ほんとうかい。まさかーー。これは立派な日本語だよ。但し、東北方言だけどね。」というと「意味がわかる。私のふるさとの言い方と同じだ」と言うのだ。びっくりしたのはこちらである。

 詳しく聞いてみるとこういうことであった。この小姐はハルピンから来ている。彼女のふるさとでは「“(口+恩)呢(口+貝)”( ng ne be んなべ) という」というのだ。この(口+貝)”(be)は一般的に(bei)と発音されるが、どちらも使われている。

 「小学館:日中辞典」によると、“(口+恩)”はもともと「同意を求める感嘆詞」であり、“呢”は疑問を意味し、答えを催促する気分を表している。“(口+貝)”は“吧”と同じで「〜でしょう」という意味である。「んなべ」と「んだべ」は使い方、意味が全く同じであることがわかった。

 但し、“(口+貝)”は現在では、子供が親に甘えながら「○○を買ってよ」とか、あるいは非常に親しい関係の間柄では使ってもいいが、それ以外では「言葉使いが荒々しくて礼儀知らず」と受け取られるので使わないほうがよい。そういうときは“吧”を使えばよい、とこの小姐に教えられた。

 実際聞いてみるとこの「んだべ」と「んなべ」はほとんど同じに聞こえる。だからわたしが言った「んだべ」は小姐には「んなべ」と聞こえたのだ。わたしの素人結論は「んだべ」は「んなべ」から来ているとなる。

 日本列島の日本海側が地理的な関係から、昔、大陸からの文化が伝わってきた先進地域であったのはまちがいなかろう。東北地方の日本海側に朝鮮半島の地名がそのまま残っている事実や、秋田弁を含む東北弁には日本語の標準母音にない大陸の母音が残っている事実、さらに、この「んだべ」と「んなべ」の関係などを総合すると、今の日本の東北地方の文化は中国の東北部から朝鮮半島の文化が伝来してきて、今尚、その影響を強く残している地域と推測されるのである。

 どなたか、この分野の専門研究家が現れるのを期待する。東北弁を母語とする人で中国語に造詣の深い人にとっては取り組みやすいテーマとなろう。あるいはすでに解明されているのか、浅学にして知らず。