ふいちゃんの中国日記

つれづれ編/旧東海道53次編

東海道53次 第19回 興津宿→江尻宿

2014年12月27日

2014年11月30日、興津宿から江尻宿へ。興津には1000年以上前から関所が設けられ、東西交通の重要な地点であったことを知る。
興津は温暖な土地のようで、サボテンが民家の板塀の中に大きく成長していたりする。この区間は見るべき歴史の遺産がたくさんある。
まず、水口屋跡。興津宿脇本陣で江戸時代初期から続いた老舗割烹旅館で、西園寺公望や伊藤博文など日本の政治経済の大物たちが数多く宿泊したそうである。水口屋跡の庭には見たことのない珍しい木が植わっている。しかし、たくさん入手した資料のどこにもこの木に関する記述はない。
昭和32年(1957年)10月の国体のために静岡県を行幸した昭和天皇も泊まった所だそうだが、昭和60年廃業。「鈴与」が購入して社員の研修センターとして使っていたとか。当時の什器や資料類は現在「鈴与」が管理運用する「フェルケール」博物館に寄付され展示されている。
次は「清見寺」。ここには徳川家康が幼年時代に教育を受けた「手習いの間」があるらしいが、中を見ることはできなかった。また構内全域が朝鮮通信使関係史跡に指定されているが、建物の中に入らなければ自由に散策できる。
最後は西園寺公望の「坐漁荘」。日本史の中で西園寺公望は教わった記憶が残っている。明治、大正、昭和を貫いた政治家で、我が国の近代化の元老の一人。東京に居ると、いつまでも仕事が絶えないとかで、70歳になった大正8年(1919年)に老後の静養のため、東京から遠く離れた興津に別邸を建てて引っ越したのだが、日本政府それでも西園寺公望を必要としていたようで、興津詣でと呼ばれるほど多くの政府要人および政党幹部がここを訪れていたそうである。
「坐漁荘」は廊下が「ウグイス張り」になっており今も歩くと音が鳴る。甲州市の「恵林寺」の「ウグイス張り」廊下の音にくらべるとかなり雑な音であるが、防犯上は十分に役立つ音である。
ガイドの説明によると、西園寺公望は「坐漁荘」を執務室として使い、別荘をさらに二つ持っていたそうである。そして昭和15年(1940年)11月24日91歳でこの「坐漁荘」で永眠した。棺は汽車で東京まで運ばれている。
じつは「坐漁荘」は現在愛知県犬山市の博物館明治村へ移築され保存されている。興津のいまの「坐漁荘」は2004年に複製されたものである。


江尻宿には江尻宿跡とか江尻宿木戸跡とかの表示があるだけでこれといったものは何も残されていない。