ふいちゃんの中国日記

仕事編

産学協同

2006年1月17日

 日本の国立大学が法人化されてもう2年くらいになるだろうか。大学の先生は公務員兼事業家という立場が法律上否定されていたが、法人化による起業の実績がどのくらいになっているのか、詳しくは知らない。
 プラスチック成形の仕事をしている関係で金型との縁はきっても切れない。以前の仕事では成形された製品を使う立場に長くいたが、今は逆に製品を供給する立場にある。自分の設計した製品の金型ができあがり、トライのときよく成形屋さんの工場へ立会いに行ったりしたのでプラスチック成形とはもともと縁があったとはいえ、実際に自分がいざ作る立場になってみると、すべてが新しく勉強といった感じである。
 プラスチック成形の場合、できのいい金型といい成型機があれば製品は90%方保証されていると考えている。そのためには優秀な金型屋と組むこと、これに尽きる。そういう認識の下、大連開発区で金型屋さんを探してあちこちへ行っている。ある金型屋さんへ行ったときのこと、車が大連大学の中にはいっていくのであれっと思っていると車はさらに構内の奥へと進む。じつはその金型屋さんは大連大学の中にあったのである。
 大学で金型を教えている先生が、ある日本人と組んで大学の中に金型製作会社を起こしていた。学内のその工場では従業員が何人かいて研削・研磨加工をしていた。大学の金型に関する実習はこの先生の工場で行っている。規模は大きくなくても、金型の場合は金型設計技術と機械加工技術があれば70%〜80%方そこそこの物はできると思われる。残りの20%〜30%は成形材料による形状と縮率および残留応力等に関するノウハウでじつはこの部分で優秀な会社とそうでない会社とに区分けされるようだ。つまり成形製品図面から金型構造と金型寸法を結び付けるノウハウである。そういうノウハウのない会社は下請けに甘んじて、単なる図面に基づいた機械加工の仕事が中心となる。
 その日本人という人はさらに自分で別の金型設計会社を経営していてこの大学の中に事務所を構えていた。じつはその人とは面識があったのであるが、こういう事情は全く知らなかったのである。大学の先生が見せてくれたこれまでに手がけたという製品の中に、わたしの勤める工場の製品があったのには少なからずびっくりした。製品に会社マークがはいっているのですぐわかった。しかし、この製品はこの日本人の方が請け負って結局成功しなかったいわくのある製品なのであるが、そういう事情をわざわざこの先生にいう必要もないと判断し、わたしたちはお礼を言ってその学内工場を後にした。