ふいちゃんの中国日記

生活編/健康

痔

2006年2月15日

 1月21日の日本商工会新年会の途中で肛門になんとなく違和感を覚えるようになり、どうしたのかなと思いながらも21時まで参加した。アパートへ帰ってからシャワーを浴び、確認したら中型のらっきょうのような感じで肛門の左側が腫れている。夜中に痛みがでてきてこれはヤバイなと思ったのだったが、その夜はなす術がなかった。翌日は日曜日。日本の感覚で病院は日曜日は休みと即断したのがいけなかった。じつは中国の病院は土曜日も日曜日も常に開いているのである。

 月曜日の朝、病院へ行った。どこがいいかと会社の人に聞いたら「開発区医院」がいいというのでそこへ行ったのである。ところが通されたのは外科、なんとなくいやな予感がしたのであったが、まさかこんなことになるとは思いもよらなかった。

 最近、中国のテレビで盛んに病院の宣伝をしている。この開発医院もその中の一つで地元のテレビでNMRなどの日本東芝製の高級医療機器を導入しているなどと随分コマーシャルを流している。だから、名前も場所も知っていたけれど実際の医療レベルまでは知る由もなかった。退院後、ある会合で開発医院はヤブではないかという話が出たので、少なくとも肛門科についてはヤブであることをわたしのひどい目にあった体験を説明した。

 診察した医者はこれは手術しないといけない状況であるが、まず腫れを治めないと手術できないので、3日間点滴をして腫れを小さくするという。それで3日分の点滴用の薬を買わされた。約400元。決して安くはない。今は「腫れを治めないと手術できない」というこの話がインチキで、すなわちヤブであることがわかるが、当時は理解できなかった。実際のところ、腫れが治まれば手術などする必要はないのである。

 約1時間半の点滴が終って会社へ戻り、午後から仕事をしていたのだが、腫れが小さくなるどころか逆にますますひどい症状になり、ぜんぜん異常がなかった右半分にも炎症がでてきたのが感覚的にわかるようになり、3時ころには椅子に座っているのも苦痛になった。腫れを治めるための点滴が全く効果を表さないばかりか、急激に症状が悪化しているのが自覚できるので、素人ながらあの点滴は何だったのだと疑問を持たざるをえなかった。

 こんなに逆方向へ行っているのにさらに2日間も同じ点滴をするなどとんでもないことだった。専門の肛門科がないかと聞くと金州区にいい病院があるというので夕方になってそこへ行った。名前は「開放路医院」で、個人経営の病院だが金州区では昔からある病院とのこと。開発区医院の処方箋と薬を見せると「あ、この薬ではダメだ」という。医師の説明を聞くにつれ、内容が理解できるのでここで手術することを決めた。アパートへ戻ってから董事長はじめ主な関係者へ電話して状況を説明し、あしたから手術入院でしばらくやすむ旨の了解を得た。翌日の午前中は各種検査、午後手術ということで、朝食抜きで行くことになっていたので、夜は9時以降は水も飲まない状態で手術に備えた。

 翌日、日本からの大事なお客様との打ち合わせが入っていたので、まず会社へ行き、段取りをつけて病院へ行く直前に、董事長の知り合いの院長で大連で一番の名医といわれる病院へ話しをつけたからそちらへいくようにとの連絡がはいり、急遽行き先変更。そこが最終的に手術をした「金州区第四人民医院」である。ところが8時ころに病院へ着いてみたら、院長はまだ来てなくて、当直の医師や看護婦に聞いてもいつ来るかわからないという。董事長が話を通してくれているのにどうなっているのかなと不安がよぎるがとにかく待つことにした。

 9時前に院長が車でやってきてすぐ診察が始まった。その後、検査のための採血などをし、9時半に一旦病院を出る。10時から日本から来たお客様との重要な打合せをこなすためである。時間がないというのかあるいはいい加減というのか検査はするものの、たとえば糖尿病有無などは問診で済み。朝食抜きだったというと昼食は摂っていいという。

 打ち合わせをこなし、昼食後病院へ。1時から手術の準備が始まった。手術着に着替え、肛門を洗浄。洗浄に来た看護婦がこんな大きいのは見たことがない、院長に聞いてくる、と大声で騒ぎながら病室から出て行く。しばらくしてもどってきて洗浄再開。こうして手術前の準備がすべて完了した。