ふいちゃんの中国日記

生活編/気をつけよう

日本人

2006年3月27日

 最近は大連開発区の街中で日本人に遇うとなぜかすぐ日本人とわかる。たくさんの人ごみの中でもぱっとわかる。どこが違うのかとよく聞かれるが、これといった説明ができない。全体の雰囲気でわかる。強いて個々に言えば、着ている様子、頭の形、歩き方、めがねの形などなどであるが、やはり総合的な雰囲気としか言いようがない。

 わたしはなにも言わなくてもすぐに日本人と察せられてしまうことが多い。いつも行く床屋もそうだった。なにも言わずに入っていっただけで「日本人でしょう」と言われた。「なぜわかる」と聞くと「なぜかわかる」と言う。おそらく何か雰囲気が違うのであろう。そうかと思うと街中でときどき道を尋ねられることがある。こういうときはまちがいなく現地人を思われているはずだ。

 人は身体からオーラを出していると言われる。仏や菩薩から「後光がさす」という言葉があるが、オーラも仏や菩薩に限らず、人がなにかを身体全体で発していて、見える人には見えるということなのであろう。わたしたちが人と接したり、見たり、話をしたりすることによって「ああこの人は教養のある人だな」とか、「この人は文化水準の低い人だな」とか、「理知的な人だな」とか、「感情の豊かな人だな」とかが容易にわかるのは個々の物からでなく身体全体で発している何かを感じ取っている結果ではないかと思う。

 平均して日本人は中国人より文化水準が高い。ましてや大連にいる日本人は明確な目的があって住んでいて、責任ある立場の人が多い。そういったもろもろの要因がこちらの人と何か違うものを身体全体で発しているのかも知れない。すぐに日本人とわかるのは治安上危険だとわたしは思っているのだがこの話になると、全く逆の考えの人もいてそのほうが逆に安全だという。

 日本人は一般的に言って金を持っていると思われている。だから「すぐ日本人と判れば狙われやすいから危ない」とわたしは思うのだが、逆の考えの人は「特に外国人に危害を加えると、中国では刑罰が非常に重いから手を出さないので安全だ」という。はてさてどちらが正しいのか、今もってはっきりしないのだが、いずれにしろ自分の安全は自分で守らなければならない。