ふいちゃんの中国日記

文化編/感覚が違う?

ちょっとまってくさい

2006年4月22日

 日本に長年住んで、流暢に日本語を話す中国人でも文章を書くと「てにをは」が正確に書けない人が多い。われわれ日本人は生活の中で自然に頭に入ってきているのでほとんど意識しなくても「てにをは」の使いわけができる。

 外国人にとってこの「てにをは」はそれほどむずかしいらしい。「ちょっとまってくさい」はわたしの勤める工場のある日本語を勉強している女性が書いた文章の一部であるが、これは「ちょっと待って、臭い」ではなく「ちょっと待ってください」の“だ”が抜けたものである。彼女の頭のなかではこれは「ください」になっているのである。

 この“だ”が抜けたり、「てにをは」がまちがっても日本語を話す中国人にとってはそれで意味を取り違えることはほとんどなさそうである。大筋としてなにを話しているのかというところを理解しようとしているからで、日本人のように細かいところで文句をいったりする思考法は基本的にないようだ。

 昔から陸続きで、外国人が日常的に入りこんできた中国では言葉の壁は大きかったに違いない。そういう中で、人と人との交流を深めていくためには大意で人を理解するということが求められてきたのではないかと思う。