ふいちゃんの中国日記

文化編/感覚が違う?

なぜ標準語がわからない

2006年6月14日

あっ、この人は外国人だと思うと、言っている言葉が何であろうと理解できないと即断するらしい。
ときおり、生産ラインへ行って出荷状況を確認する。
たとえば目標出荷数に対してあとどれだけ残っているかとか、順調に前工程から梱包する製品が流れてくるかとか。
当然中国語で聞く。

はじめの頃はこれまでの日本人がみな中国語が話せなかったので、今度きた日本人も当然中国語が話せないと思っていたらしい。
だから、なにか話しかけてもはなから日本語はわからないと思っているから、中国語であっても脳が理解機構を遮断するらしい。
なにを言っているかわかりませんという返事が返ってくる。

わたしは普通話を話しているのだよ、とさらに中国語で言ってもやはりわからないという。
ではあなたはテレビで言っている普通話は理解できるのですか、と聞くとそれはわかるという。
ではなぜ私の普通話はわからないのかと聞くと、やはりわからないというのだからお手上げである。
だが、そういうわからないという返事が返ってくるそばで仕事をしている別の作業者のなかには「わたしはわかります」という返事も返ってくるのである。つまり、ある作業者はわかり、ある作業者はわからないというわけである。

こんなことが3〜4度続くと今度の日本人はどうやら中国語を話すらしいということになる。
そうすると脳が理解しようという回路に変わるらしい。
突然、今度はわかりました、という返事が返ってくるようになった。
そうするとあとは簡単で、つまり聞きなれるとこちらがいろいろ聞くと、相手もそれを理解しようとするようになってくる。

ときどき、別の工程に行って、きょうは品質上の問題はないかなどと聞くことがある。
そうするといまでもやはり、なにを言っているかわからないという返事が返ってくることがあり、言語を理解するメカニズムは一体どうなっているのだろうかと不思議に思う。