ふいちゃんの中国日記

文化編/感覚が違う?

2回地方わかりません

2006年7月15日

大連に住む中国人で日本語を話せるということは収入の増加と安定につながる。
カラオケお嬢さんの中でも2級の資格を持っているのは珍しくないし、中には1級を目指しているお嬢さんたちもいる。

会社に勤める人たちのなかでも日本語熱は盛んである。
日本語が話せて仕事が出来る人は高収入が約束されている。
日本人からみても片言でもいいから日本語を言ってもらえると何を言っているかの理解度がぐんと上がる。
特に重要なキーワード的な単語が日本語で出てくるとなおさら理解度が高くなる。

これは私の勤める会社のある中国人のe-mail文のなかの言葉である。
この人は文化大革命と学業期とが重なったため小学校しかでていない(*1)が大変な努力家で、電気・機械もわかるし、CADも使いこなす。
日系企業に勤めるようになって毎日1時間日本語を勉強しているそうである。
その成果があって、この頃はe-mailを日本語で書けるようになっている。
まだ、日本語としてはところどころおかしな部分があるが意味は充分に通じる。

「地方」は中国語と日本語の意味は同じ。
ここでは日本語的には「所」となる。
資料のなかで「不明な所が2回出てくる」ということなのであろう。
わたしが渡した資料の中で「2箇所わかりません」という意味になる。

(*1)
10年に及んだ文化大革命の期間、学校は閉鎖され生徒たちは勉強する機会を奪われた。
この期間にちょうど学業期だった子どもたちはこの大切な期間をまともに勉強することなく通過している。