ふいちゃんの中国日記

観光編/延吉

固定観念(わかってみれば簡単)

2006年11月14日

固定観念というのは恐ろしい。
水前寺清子の歌に「押してもだめなら引いてみな」という言葉があるが、人間こうだと思い込んだら、引けば簡単に開くドアが一生懸命に押して開かないという、笑い話みたいになってくる。

いつか見たテレビ番組(確かアメリカの出来事だったと記憶している)でも銀行強盗が逃げるときにドアを押して開けようとしても全く開かず、結局外に逃げられなくて捕まってしまった。

じつはそのドアは引けば簡単に開くドアだったのである。
番組では馬鹿な銀行ギャングということになっていたが、こういう間違いは往々にしてあることで、人のことを笑えない。

中国では洗面所の流しで排水がうまくできないのはよくあることである。
ホテルに着くとわたしはまず手と顔を洗う習慣がある。
いざ排水しようとして蛇口の後方にある押し引っ張り棒へ手をまわしたが押し引っ張り棒がないのである。
通常、流しの底の排水口を封じている金属は上下することにより、水を貯めたり、排水したりする。
外観をみてわたしの頭の中ではそのように固定されていたのである。
その底蓋を上下するのが蛇口の後方にある押し引っ張り棒である。

いままでの経験でこのような場合、手でその蓋を持ち上げると簡単にはずれて水が排水できたのである。
ところが今回はどのようにしてもその蓋が持ち上がらない。
どうしようもなく、フロントへ電話して水が排水できないというと、「押せばいい」という。
しかし、押すにもその押し引っ張り棒がないのだから押しようがないのである。

いろいろ考えたがどうにもわからない。
それでもう一度フロントへ電話した。
今度は服務員がやってきて、こう押せばいいと溜まった水の中に手を入れて底蓋を押した。
そうしたら蓋が上へ上がってきて水が流れ出した。「なんだ、そういうことだったのか。」
わかってしまえば簡単なことだが、頭が随分固くなっているのだなと自己反省することしきり。

どうせまた故障しているのだろうと決めてかかったところにまず最初の問題点があった。
こういう方式もあったのだと一つ利口になった。
だが、この方式は排水のとき、汚れた水の中に手を入れなければならないところに大きな欠点がある。