ふいちゃんの中国日記

社会編/時事

丹東

2005年 11月 23日

 2005年10月に大連・丹東間に高速道路が開通した。聞くところによると車で2時間を切るらしい。丹東は北朝鮮とのつながりが深いところで知られている。10年以上前から、一般の中国人は韓国と北朝鮮を区別して呼んでいたが、本屋で売っている地図では一色で「朝鮮」となっていた。最近みかけた地図では「朝鮮」と「韓国」となっていたから中国も変わっている。
 丹東は北朝鮮と国境を接していて、狭いところでは数mの川幅が国境線になっているという。かつての「ベルリンの壁」のようなものはなく鉄条網もないらしい。ここには中国と北朝鮮を結ぶ橋が架かっていて、10数年まえには中国側からは日帰りはビザなしで往来できたそうだ。今はビザがないと入れない。「朝鮮動乱」のとき、中国軍が北朝鮮へ渡ったのがこの丹東の橋だったというからこの土地は交通の要所としても重要な位置を占めていることがわかる。
 中国の人々も北朝鮮が今非常に貧しい国であることを知っていて、年配の人の話を聞くと中国も昔はそうだったという。物資が不足しているからガラスが破れても修理されていないとか、ガラスの代わりにビニルで窓が塞がれているとか、といった話をよく耳にする。大連よりもさらに北方にあるから冬の寒さは相当厳しいだろうと想像がつく。国境の河の手前にいると対岸の農民がなにかをくれと手招きするのだそうだ。勝手に河を渡ると密入国になり、竹竿の先に物をつけて渡すのは違法ではないと聞くがほんとうかどうかはわからない。
 丹東とその周辺は大昔は「朝鮮国」の生活圏になっていたのであろうか、今も多くの朝鮮族が住み、朝鮮語が使われているという。地理的に近いということもあってか大連にいる通訳のなかには中国語、朝鮮語、日本語を話せる人もかなりいるらしい。韓国からの中国進出企業も多いのでこの3ヶ国語を操られる人は収入面では相当有利な立場となろう。
 一度は行ってみたい丹東である。