ふいちゃんの中国日記

文化編/感覚が違う?

発想の違い

2007年1月26日

布靴が伸びてブカブカになり履きにくいので小さめのやはり布靴にしたのであるが、以前履いていた布靴を机の下に置いていた。ただ、大きくなっただけでどこも痛んではいないから捨てるにはもったいないし、どうしようかと思ってとりあえず机の下に置いていたのである。

掃除のおばさんがこの靴を見つけてどうしたのかと聞く。状況をかいつまんで説明した。するとおばさんは、それではこうしたらどうかと布靴の横の部分を手でつまんで1cmほど短くした。そしてわたしに試しに履いてみるように言うので履いてみた。たしかに寸法が短くなりちょうどの大きさになっている。

それでは明日、針と糸を持ってきて縫ってあげますということになった。翌日、おばさんは自宅から針と糸とを持ってきて縫ってくれた。ついでに洗ってあげますということで布靴はすっかりきれいになった。

わたし達日本人は使えなくなると修理するのでなく捨てることを考える。日本では修理費が高くて新規に買ったほうが割安だからである。その結果、廃棄物が氾濫して処理にこまるようになっている。だが、中国ではなんでも修理する。修理費も安いし、なんでもかんでもすぐに故障するからである。だから修理屋さんがいたるところにいる。電気製品は店の中だが、靴や自転車は路上に、衣類などはデパートの踊り場などにいる。

たかが5元の布靴とは言え、掃除のおばさんにこうすればいいと言われて、わたしは頭をガツンとなぐられた思いがした。そうだ、これでいいのだ。言われてみれば簡単なことだが、糸で縫って短くすればいいという発想がわたしにはできなかったからである。