ふいちゃんの中国日記

ふいの中国語講座

250

2007年6月2日

日本から輸入しているテープがここ大連でも購入できることがわかり、技術的評価を終了して、切替をはかることになった。ほんのちょびっとのコストダウンであるが、これも「積少成多」でよしとしなければならない。

購買担当者がこれだけ買いたいと言って伝票を持ってきた。よく見ると数量が240巻と書かれている。普通、100、150、200、250などと区切りのいい数でまとめるのに240という中途半端な数はなにか意味があるのかと質問した。

すると「250は大連ではだめです。」という。
「だめとはどういう意味。」
「ばかだからだめです。」
「はあ?」
「250は馬鹿の意味があり、私達は通常250は使いません。それで240巻にしました。」
「それだったら、余裕をもたして260巻にしなさい。」
「わかりました。」
「ところで250がなぜ馬鹿なのかなあ。」
「私にもわかりません。ですが、昔から大連ではそうなっています。」
「ふーむ。」

ちょうどタイミングよく「とらえどころのない中国人のとらえかた」(講談社+α新書、宮崎雄介著 ¥838)を読んでいて同じ内容が出てきた。それによるとこれは中国の俗語で「250 erbaiwu アルバイウー」は「うすのろばか」を意味する罵り言葉で、そのため、商売をするときはとくにこの数字をお互いに避ける習慣があるのだという。

「現代中国語辞典」(光生館:香坂順一編著)によると「250」は俗語で、半ばか、薄のろ、そそっかしや、と出ている。

地元の大連人にこの言葉の使い方を聞いてみた。子供のときは遊びながらよくこの言葉を使ったという。大人になってからは使うことはまずないそうだ。

「お前は馬鹿だ」とか「この馬鹿め」などというときは「你是250」と言うようだ。親しい間柄では使ってもいいけど、そうでない場合は大変失礼なことになるので使ってはいけないと念押しされた。

値引き交渉するときも、たとえば価格が280元だったら250元とは言わずに248元とか要求し、とにかく250元とはまず言わないと教えてくれた。

幸か不幸かわたしはまだ実際に聞いたこともなく言われたこともない。