ふいちゃんの中国日記

社会編/時事

原始の生活

2007年8月15日

2007年3月4日、大連史上最大の大暴風雨の夜は次の順序で始まった。
1) 20:10〜停電
2) そのため、水道の水が出なくなりトイレが使えなくなった
3) お湯(湯沸かし器)も使えなくなった。そのため、シャワーが使えなくなった。このときにシャワーを使っていた人は難儀したに違いない。
4) 当然、食器洗いもできない
5) エレベーターが使えない

電気と水がなくなると、とたんに文化的な生活ができなくなる脆さを思い知らされた。この状態が翌朝の7時まで続いた。ところが、工場にはちゃんと電気が来ていて、仕事に支障はなかったので出勤することにした。

したがって、食事もできず、12階の階段を歩いて1階まで降りた。電気カミソリは幸い、充電式のものがあったのでなんとかヒゲは剃ることができた。工場へ着くといつもと変わらない生活が始まった。

もし、庭に井戸があって、薪で煮炊きをしている生活だったら、このような停電による影響はほとんどなかったにちがいない。当たり前のように感じているわたし達のいわゆる文化的生活が電気と水とに支えられていることを、そしてきわめて脆い面をもっていることを実感した人は多かったのではないか。

そして7月のある日、仕事が終って帰ったらエレベーターが故障で動かなかった。貼紙によると地下に水漏れがあったからだとの説明である。地下一階まで行ってみたが修理しているような雰囲気はまったくないし、修理らしい音もまったく聞こえない状況であった。きっと夜は修理屋も休みなのであろう。

かなり重いコンピューターとカバンを持って12階まで上がるのはかなりの体力が必要である。修理中と書いてあったが、日本のように利用者第一で徹夜してでも修理するなどのサービスはほとんど期待できそうにない。

わたしの階は階段に通じるドアが開いていたからよかったものの、階によってはこのドアに鍵がかかっていて、苦労して階段を上がってきたものの中に入れない人もいた。この人たちはガラスを割って鍵を手で開けて中に入ったようだ。翌日、階段を下りるときまるで泥棒にでも入られたように鍵の近くのガラスが割られていた。

次の日もエレベーターは動かなかった。この分だと1週間くらいはきつい労働を強いられるかなと覚悟していたのだが、幸い、3日目の夜にはエレベーターは動いていた。文化的な快適な生活をしているようでも脆い基盤のうえに成り立っていることを思い知らされたこの春から夏の出来事であった。