ふいちゃんの中国日記

社会編/時事

四川地震(1)

2008年5月15日

四川地震の第一報が入ってきたのは2008年5月12日15時52分、成都の友人が短信で知らせてくれた。おそらく、その友人は生まれて初めての地震ではなかったのか。日本に住んでいると地震はしょっちゅうあるので、ある意味では慣れているのだが、本来、地震と縁のない地域に住んでいる人々にとっては恐怖そのものだったかもしれない。

短い文章だが、情況が伝わってくる。

短信:成都地震了。現交通堵塞、所有人都站在公路中間、汽車無法通行。
成都に地震があった。今、交通は塞がっている。すべての人が道路の
中に立っている。車は通行できない。

その後、安否確認の短信を入れたときは通信に問題はなかったが、退勤後、17時半ころに短信を入れたときはすでに通信不能状態になっていた。電話ももちろんつながらない。その日の夜7時のCCTV1(中央電視台1チャンネル)「新聞聨播」では地震関連の内容はまだあまりなかった。

2日目の「新聞聨播」は地震関連に大幅な時間をとっていた。そして日が経つにつれて地震の被害状況は拡大の一途をたどった。震源地と言われる「汶川」は行ったことのある場所である。

テレビニュースを見ていて気がついた。完全に崩れた家があるかと思えば、すぐ横にある家は見た限りでは全然変形もしていない。M7.8と言われる地震の強さもさることながら、耐震構造でない家の被害が大きかったのであろう。

中国の農村では自分達で家を建てる人々がたくさんいる。そのような人々が充分な耐震構造意識と知識があったかは疑問なところである。もっとあっさり言えば、柱以外はレンガを積み重ねただけの家はたくさんあるのだ。

5月14日現在、成都市に住むわたしの友人たちとはすべて連絡が取れて、幸い、家も含め被害はないことがわかった。しかし、水道水は濁り、エレベーターは止まったままで、生活上の問題は出ているという。

成都の空港(双流空港)は2日目には運行が再開されたが、民間航空はまだ乗り入れができない。今は完全に軍用になっていて、救援物質が陸続と到着していると友人の短信が伝えてくる。