ふいちゃんの中国日記

文化編/感覚が違う?

己惚れ(うぬぼれ)

2007年8月16日

日本には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がある。稲と関係ある環境で育った人は経験的に知っている。豊作のとき稲の実は大きく、たくさんついていて、穂の根元の部分が折れてしまうのではないかと思うほど曲がっている。

中国の東北部は稲よりもトウモロコシなどが主体なのでこういう言葉がないのかもしれない。毎朝30分、管理者と会議を開いている。情報の伝達と報告が主なのであるが、ときにはこういう話をすることもある。管理者になって班長、係長、課長、部長と役職が上がっていっても謙虚さを失ってはならないと。

あるいは技術力が会社の中で一番上だからといって、それは単に相対的なことであって、絶対的な水準はまだまだ上があること、井の中の蛙になってはならないことなどを具体的に絵をかいて説明することがある。もともと文化が違うのであるから生まれてこの方、聞いたこともないような考え方を聞いてもピンとこないのかもしれない。

管理者の上位の者で時々とんでもないことを言ったり、したりするのがいる。どう贔屓目にみても「己惚れ」が原因としか思えないのだが、本人は意識していないようである。己惚れは中国語では“驕傲”である。そのほか易しい字では自満、自負、自大がある(小学館:日中辞典)。

【註】
驕傲 jiaoao ジアオアオ うぬぼれ、傲慢
自満 ziman ズーマーン (同上)
自負 zifu ズーフー (同上)
自大 zida ズーダー (同上)