ふいちゃんの中国日記

仕事編

5W1H

2005年12月24日

 これも日本では常識といってよいだろう。だが、わたしの勤める工場では全く違っている。この言葉もやはり標語になって壁に貼られていて、つまりこれもこの工場に「5W1H」が不足していることを痛感している誰かがいて貼り出したのであろう。“釈迦に説法“で恐縮だが敢えて書くことにする。

     Who      だれが
     When     いつ
     Where     どこで
     What     なにを
     Why      なぜ
     How      どのように

 たとえば、資料を作ってもらったら
   ? タイトルがない。
   ? 作成年月日がない
   ? 作成者の氏名がない
などというのはザラで、信じられないかもしれないが本当なのである。とにかく自分さえわかればいいというような書き方になっていて、相手に読んでもらおうとか、上司に読んでもらおうなどといった配慮はカケラも感じられないのである。なかには何のために作成された資料なのか詳しく話しを聞くまでわからないのさえある。10回、20回言ってもなおらない人はなおらない。5W1Hという言葉はこれまた多くの人が知っているのにである。
 もう一ついただけないのは紙の左側に目一杯片寄せて印刷することである。右側も一杯というのであればわからなくもないが、往々にして右側は余白が余りすぎている場合が多い。要するに相手の立場に立ってものごとを考えられないのである。だから毎回、毎回注意する。こんなに左にくっつけたら綴じたときこの部分が見えなくなるだろう。だから全体のレイアウトをもっと右へもっていきなさい。「明白了」、「知道了」と返事はいいがその次もまた同じことを繰り返している。こんな会社があるというのは事実で、まさかここ1社だけとは思えないが、このように悪戦苦闘している部分もまだ多いのである。
 だが、こういう話を友人の中国人へ話したら、
「あなたの工場は恵まれている。すばらしいではないですか。」
と言われてしまった。
「えっ、どういうこと。」
「わたしの工場ではわたし以外にそのような資料とか報告書を書ける人さえいない。資料や報告書ができているのだから、年月日や名前が落ちているなど些細な問題ですよ。」
「うーむ、なるほど。」
「それに会議のときだってわたし以外に誰もしゃべらないのですよ。そんなもんだからこれはまずいと思って、きょうはわたしが聞き役になるから一人ひとり何か話してくださいと言っても誰も何も話さないのですよ。」
「あなたの工場にくらべるとうちの工場はまだずいぶんいいことになりますね。」
「そうですよ。それにうちの営業員などは打合せに客先へ行っても、図面をもらってきているのに何もメモをとっていないのですよ。だから生産予定数量やサンプル提出期日とか見積書はいつまでとかさっぱりわからず、結局わたしがあとで電話して聞かなければならないのです。」
 上には上があるものだなあ。うちの工場も捨てたものではないぞ。資料や報告書ができていることに感謝しなくちゃ。そうだ、たしかに題目や作成者、作成年月日などは些細な問題だ。本体があるのだから付属品は何とでもなる。あしたからみんなを新しい目で見てみよう。

 【註】
   明白了 mingbai le ミンバイラ わかりました
   知道了 zhidao le ジーダオラ わかりました