ふいちゃんの中国日記

仕事編

某役所の課長出社せず

2008年8月24日

ある木曜日、その日に出荷しなければならなくなった製品があって、午後一、通関担当者が某役所へ申請に行った。3時になって電話があった。通関申請を処理するいつもの課長がまだ出社して来ない。朝からずうっと出社していないのだという。

出社していない理由は何だと聞いても「説明はない。わからない。」である。「はたして出社して来るのか、来ないのかもわからない。」というのだ。どこも本日中に処理したいのであろう、20人ほどの各社の通関担当者が並んで待っているという。

中には朝から担当の課長が出てくるのをずうっと待っている会社もあるのだという。3時半まで待って出てこなければ本日中の処理は無理だからあと30分待ってみるという連絡である。

結局、この課長は3時半になっても出社せず、某役所からも何の説明もないので並んで待っていた人たちも各自が判断して帰ってしまったという。急いで客先に事情説明の連絡を入れ、当日の納品ができなくなったことを詫びることになった。

この程度のことはかの国では日常茶飯事的なこととみておかなければならない。それはこれらの「お役人」たちの意識には我々が「お客さん」という意識が全くないからであろう。事情があって休むのは構わない。しかし、お客さんを一日わけもまからずに待たせることはなかろうに。お役人の勤怠管理は一体どうなっているのだろう。

「人民に奉仕する」という標語はよく見かけるが、裏返せばそれが不十分だからこそそういう標語が必要なのだ。

他の国だったら、厳重処分ものであろう。せめて今日は来るのか来ないのか、くらいの説明はあって然るべきである。来ないとわかれば誰も忙しい中を無駄に待ったりなどするものか。一日中、お客さんを待たせて、お客さん達はもう今日は来ないなとあきらめて各自帰ってしまった。

お客さんの仕事を処理することによって自分の給料が成り立っているという意識があれば応対は変ってくるであろう。あくまでも「お役人」が中心である。

最近は大連空港の出国手続き担当者のカウンターに「私を評価してください」いう評価機器が置いてあるが、税関にもそういうのを設置してみたらいいのではないか。
 
しかし、正直に評価したら以後の申請処理にいろいろな悪影響がでる危険性が極めて高いので、誰もまともには評価しないだろうから意味はないわけか。